「ノンバイナリー」について

最近いろんな方とやり取りしてて、自分の「ノンバイナリー」の理解が、特にバイナリーな方と全然かみ合ってないな、と気づいた。なので、Twitterに書いたものをもとに、ここにまとめようと思います。いつも通り、ここに書くのはあくまで自分の理解で、すべてのノンバイナリーが同じようにこの言葉を使っているわけではないこと、そして、ここにある説明があなたの経験と合致しない場合、誤っているのはあなたではなくてこの説明であることを、強調します。後半の「ゼノジェンダー」に関する説明は、特にこの点を理解したうえでお読みください。

「ノンバイナリー」のよくある説明

「ノンバイナリー」のよくある説明は、「女性でも男性でもない性別(またはそういった性別の人)」やそれに類するものであるような気がしますが、これがすごく納得できないんですよね。例えば「女性でも男性でもある人(「人」ということばの是非については、後で書きます)」だって、「部分的に女性でもある人」だって、「ノンバイナリー女性」だって、「性別がない人」だっているわけで。

エリス・ヤングのThey/Them/Their: A Guide to Nonbinary & Genderqueer Identities (『ノンバイナリーがわかる本』)では、「一般的に、そしてこの本の目的の中においては、manとwoman、heとshe、maleとfemaleのいずれか一方のみであるというバイナリーの外にあるジェンダー・アイデンティティの総称」(しぃ訳。手元に邦訳版がないので。。)としていますね。ここでfemaleとmaleが何を示してるのかによっては少し問題があるし、「ジェンダー・アイデンティティの総称」としてるから、ジェンダー・アイデンティティのない人の扱いが怪しいとか、ちょっと気になるけど。

特に日本語圏だと、「『女性』や『男性』といった枠組みをあてはめようとしない」みたいな説明もよく見るけど、これ好きじゃないんだよねー。「あてはめようとしない」っていうか、最初から「あてはまらない」んだが?ってなる。場合によってはこれを「Xジェンダー」との違いの説明に使ってるのも見るけど、うーん、自分の実感とは少しずれてる。

うちのつかってる「ノンバイナリー」の説明

というわけで、自分は次の説明(あるいはこれを基にしたもの)を、よく使っています:

自分が使ってる「ノンバイナリー」の説明(not 定義)

バイナリーではない人。すなわち、「常に、唯一、そして完全に女性」または「常に、唯一、そして完全に男性」のいずれでも自分の在り方を十分に説明できないと実感している人。

この説明は、Gender Censusを基にしており、「日本語版ジェンダー調査2023」(調査報告、そのうちもう少し見やすくするね。。)でも似たものを採用しています。ヤングの説明とも、中核的な意味はそんなに大きく外れてはないと思う。ただ、これも多少問題があって。例えば、自らを(冗談交じりかもしれないけど)、女性に「なったbecame」”Ex-Man(元Man)”と説明しているNatalie Wynn (ContraPoints)もこの説明だと「ノンバイナリー」になるけど、少なくとも彼女が自らをノンバイナリーと表現したことは、知ってる限りではない。それに、前述の「日本語版ジェンダー調査2023」見ても、この説明にあてはまる人の全員が「ノンバイナリー」という言葉で自らを表現しているわけでもないし、とか。でも、強すぎる説明よりは弱すぎる説明のほうが、まだマシかな、と思ったりもする。

自分の理解の中では、「ノンバイナリー」はある一つの在り方を示しているわけではなくて、あくまで「バイナリー」ではない在り方の総称。もちろん「ノンバイナリー」を自分のあり方を説明するためのラベルとして使う方がいるのもわかってるけれど、アンブレラタームとしてのノンバイナリーは、性別という属性をもたない人も含めた、バイナリーでないあらゆるあり方を含む開かれたカテゴリーだと理解してる。だから、自分がひとに「ノンバイナリーです」というとき、それは「バイナリーではありません」という意味のつもり。「ノンバイナリー」という「性別」であるというわけで言ってるつもりではないし、ノンバイナリーを一般的にそう理解するのは、多くのバイナリーでない人たちを排除してしまうと思う。逆に、うちが「Xジェンダー」であると自分を認識しないのは、ノンバイナリーの「開かれた」感じを、このことばでうまく表せないと思うからなのかな。

「Xジェンダー」と「ノンバイナリー」と「ジェンダークィア」の関係については、ほぼ同義に使う人もいるし、使い分けてる人もいる。どれかのみ使って、ほかを拒絶する人もいる。自分は、「ノンバイナリー」のなかに「Xジェンダー」があって、「ジェンダークィア」は「ノンバイナリー」の古い言い方、って認識してる。「クィア」は、セクシュアリティとかも含めて「非規範」的なあり方のすべてを包含してるという認識。自分の場合、「同性愛者」や「異性愛者」って説明では「誰が同性/異性なん?」ってなってうまく表せないのもあるし、このぐちゃぐちゃしてる状態を肯定的に表すためにも自分は使ってるかな。

ゼノジェンダーについてとか

性別を「女性」と「男性」を両端にする線分のようなものとして理解したうえで、「ノンバイナリー」をこの線分の上のどこかみたいに考えている人も多い気がするけど、自分はそうは理解していない。ここら辺のことはanarchist_nekoちゃんと以前話したことがあって、「ジェンダーのガンガゼモデル」として、まとめられてます。そして、自分は「女性」や「男性」を、あくまでたくさん生えてる「軸」のうちの二本でしかないと理解してるから、これら以外の表現だって当然使っていいと思ってるし、当然尊重されるべきだと思っている。でも、残念ながら、性別について表現できる語彙は、これまで限られたものしか与えられてこなかった。だから、これまで性別を表現するためには使われてこなかった表現を、例えばこれまで動物や植物や鉱物や機械や図形を表すとされていた表現を、使っていくことだって尊重されるべきだと思うし、「クィアの解放」にとって大切なことだと思ってる。「○○は性別ではないので」でゼノジェンダーを拒絶するなら、「無」や「流動」だって、長く性別に使える表現でなかったよ。

ゼノジェンダーの方を、「人」を表すために使われていた言葉で表す是非について。これはずっと悩んでるんだけど、結論から言うと、少なくとも今日の自分は、ゼノジェンダーはあくまで「性別」の話であって「人/ヒト」か否かの話ではないと理解してる。例えば、Baaphomett (2014)が初めて「ゼノジェンダー」という表現を使ったときにされた説明は、「人/ヒトの性別の理解に収まらない性別」と、「性別」に議論を限定してる。この説明は広く引用されていて、少なくともこの部分に対して異議が唱えられている感じはない印象。また、Nonbinary WikiでもLGBTQIA+ WikiでもMOGAI Wikiでも”people”という表現は普通に使われていて、こちらのXenogender Wikiでも”anyone”がトップページで使われていたりする。自分が知っている限りにおいては、少なくとも英語圏では”people”や”someone”などとあらわすことの是非が争われているのは見たことがない。ゼノジェンダーの一つであるcatgenderについても、MOGAI Wikiの説明だと、「~といった性別」となってる上で”people”で表されているし、catgenderということばを最初に作った方による説明も”anyone”を使ってるので、やっぱり「人/ヒト」か否かは議論の対象になっていないような印象。

ただ、上記のBaaphomettの説明では、「性別」とされるものと他の属性の間の複雑な交差が無視されてて、例えばneurogenderのようなものを考えると不十分さがあるのも否めない。そう考えると、「ゼノジェンダー」には「人/ヒト」であることにアイデンティティを持たない在り方を含むのかもしれない。でも、そうだとしても、それはほかの性別の在り方も変わらないはず。今のところは、あまり問題であると認識できてないのが正直なところ。

自分の認識としては、もし「人/ヒト」として自己を理解しない方を「人」と表現することの是非を問うのなら、ゼノジェンダーは「性別」の話である以上、これとは異なる次元でされるべきであると思ってる。少なくとも、「『ゼノジェンダーの人』と書くのは問題だ」は、同じ根拠で「『すべての人』という表現は『人』でない方を排除している」と言わない限り、「性別」に関する議論と「種(あるいは「人/ヒト」であるか否か)」に関する議論が混ざってしまっていると思うし、そこは交差性がある可能性を認めたうえで、いったん区別してもよいとは思う。

あと、「種」という概念については、生物学のなかでも「定義」があいまいで議論の対象でもあるし、分野やフレームワークによっては異なる「定義」を用いたりするときもあるので、そこは認識したうえで、種がアイデンティティとしなりうるか否かは考えるべきだとは思う(そもそもここで問題にしているのが本当に「種」なのかを含め)。

参考になりそうなサイトとか

ノンバイナリーについて、変な記事がいっぱいありすぎだと思う。正直、ヤングの本もあまり好きじゃなかったりする(邦題の問題を除くとしても)。以下は、自分が好きな説明。ほかにもおすすめあったら教えてね。

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