ペドフィリア、チャイルド・マレスターと性的指向

「チャイルド・マレスター」と「ペドファイル」を区別したうえで、ペドフィリアを経験することそれ自体を「危険」だとか「暴力」であるとする考えに反対する。問題にすべきなのは欲望の在り方ではないはずだ。

CW:性暴力、チャイルド・マレスター、同性愛者差別への言及があります。

この文章は、LGBTQ+コミュニティ全体の考えを反映しているわけではありません(むしろコミュニティ内の異なる考えの方に向けて書いています)。また、チャイルド・マレスターによるものを含んだ性的な加害を正当化するものでは一切ありません。性的同意が絶対的に尊重されること、そして一定年齢以下のひとは性的な同意ができないとみなすべき(あるいは、性的な同意ができるとみなすべきでない)ことは、当然の前提として書いています。

※2023/09/09:[追記] 本記事が書かれた経緯について追記しました。

  1. 言葉について
  2. 「LGBTQ+にペドフィリアは含まれるのか」という誤った問
  3. ペドフィリアとチャイルド・マレスター
  4. 欲望と性暴力
  5. 「性的嗜好」と「性的指向」
  6. 本当に問題にすべきこと
  7. まとめ
  8. [追記]2023/09/09
    1. 本記事の書かれた経緯
    2. なにを「ペドフィリア差別」として批判しているのか
  9. 参考になりそうなものたち

言葉について

まず、話を伝わりやすくするために、ここでは以下のように言葉を使っていきます:

  • ペドフィリア pedophilia:広く、性的同意が可能であるとみなすべきでない年齢の対象に対する性的な関心・欲望。
  • ペドファイル pedophile:ペドフィリアを経験するひと。
  • チャイルド・マレスター(チャイルド・モレスター child molester):性的同意が可能であるとみなすべきでない年齢の対象に対して、実際に性的な加害に及ぶことを具体的に計画している、ないしは、実際に加害に及んだひと。

「ペドフィリア」は、この欲望自体を一種の「病理」として扱う場合も使われる表現ですが、ここではそのニュアンスを含めた意味では用いていません。また、「実際に性的な加害に及ぶこと」には、ことばや表現を通じた加害も含まれていると考えています。

「LGBTQ+にペドフィリアは含まれるのか」という誤った問

「LGBTQ+(あるいはクィア)にはペドフィリアが含まれる!だから『LGBTQ+運動』は危険だ!」のような発言が、差別的なグループから発せられることが多くある。それに対して、「LGBTQ+にペドフィリアは含まれない!(だから『LGBTQ+運動』は危険ではない)」という反論がよくなされる。だが、少し待ってほしい。

「LGBTQ+にはペドフィリアが含まれる!」と「『LGBTQ+運動』は危険だ!」を「だから」で結ぶ話者は、「ペドファイルを含むひとたちの権利を求める運動は危険だ」を信じているのだろう。確かに、歴史的にはクィアであること、特にゲイであることが、ペドファイルであることと結び付けられ、差別の「根拠」にされてきた。ゲイであることはペドファイルであるか否かとは直接は無関係であるし(問題のある研究も過去にあったが)、ましてやチャイルド・マレスターであるかも関係ない。そして、現在、同じような理論で、特にトランスの方を含めた多くのクィアの権利を求める運動を否定しようとしてきている人たちがいるなか、こういった言説に抵抗することは必要だし、大切だとは自分も思う。

だが、わたしたちが批判の対象とすべきなのは、LGBTQ+(あるいはクィア)にペドフィリアが含まれるか否かではなく、「ペドファイルを含むひとたちの権利を求める運動は危険だ」の方ではないのか。

ペドフィリアとチャイルド・マレスター

「ペドフィリアは危険」の「根拠」としてよく挙がるのが、ペドファイルの欲望の対象が、性的同意が可能であるとみなすべきでない年齢であることだろう。ペドファイルは、その「定義」上、現実的には絶対に性的同意を得られない対象へ欲望が向いている。

だが、現実的には絶対に性的同意を得られることのないだろう対象に欲望を覚えたことのあるひとは、別にペドファイルに限らない。多くの非ペドファイルだって、面識のないアイドルやすでに死去したひとへ欲求をおぼえてきたし、自分へ性的な関心のない人や確実に持たないだろう人へ性的な欲求をおぼえた経験は自分もある。もし「性的同意を得られる現実的な可能性」自体が問題ならば、そういった欲望を経験してきた人たちだって、同じく「危険」だし「異常」だと議論すべきだろう。そういった視点から「ペドフィリアは危険」だと主張しているつもりならば、主語が誤っている。あなたが問題にしているのは性的な同意を得ずに相手に性的な欲求を持つことそれ自体であるのだから、「ペドフィリア」を切り出してくるのは恣意的だとしか言えない。

だが、わたしたちが本当に問題にしたいのは、「『同意』のない欲望」それ自体なのか。わたしたちが本当に求めているのは、「『同意』のない欲望」自体のうまれることを阻止し、本人の意思や同意にかかわらず常に必ず、多くの場合国家権力を通じて、「矯正」を迫ることなのか。少なくとも自分は違う。自分が求めてるのは、「同意のない行為」がなされることを阻止すること。性的同意のない対象への行為を非難することと、性的同意のない対象へ欲求をおぼえることは区別して語れるし、きちんと区別して語るべきことではないのか。

欲望と性暴力

あるいは、こう言う人もいるかもしれない:「チャイルド・マレスターの多くはペドファイルなのだから、後者を『危険』視するのは誤っていない」、と。だが、それならばこうも主張しなければならないはずだ、「性犯罪者の多くはalloセクシュアルなのだから、後者を『危険』視するのは誤っていない」、と。ペドファイルを「性暴力予備軍」などというのであれば、同じ基準を性的欲望をおぼえるすべての人へ適用しなければおかしい。それに、これは実際の性暴力の在り方を全く無視している。例えば、同性への性暴力は必ずしも同性へ性的な関心があるひとによるものでないことは、幾度も指摘されてきている。

ある対象に性的欲望をおぼえていることは、その相手に同意なく性的な行為を強制することとは全く異なる問題だし、異なる問題として語っていく必要がある。そこを曖昧にするのは、ゲイだとカムアウトした男性に「俺を襲うなよwww」と言う男性と、いったい何が違うのか。

「性的嗜好」と「性的指向」

これまでの議論を前提としたうえで、「LGBTQ+にペドフィリアは含まれない」についても、考え直したい。確かに、これまで「LGBTQ+運動」とされる運動のなかで、ペドファイルの権利はほとんど主張されてこなかった。そして、ペドフィリア以外にも、「パラフィリア」や「フェティッシュ」、「キンク kink」あるいは「性的嗜好」とされるものは、コミュニティ内でも排除されがちである(そもそもこの文章自体、コミュニティ内に向けて書いている)。少し前にもBDSMとプライドとの関係が問題にされたこともある。歴史的には、「性的指向」が「ただの趣味」とされることへ対抗するため、「性的嗜好」を区別して運動をする意義はあっただろうし、一定にそれは今も意味があるのかもしれない。だが、これについても、少し疑問がある。

そもそも「性的指向」とはなんなのだろうか。ノンバイナリーとして「性的指向」について考えていくほど、既存の説明はどれも限界が生じ、「指向」と「嗜好」の境界は曖昧となってくる(Jas 2020に詳しい)。わたしたちが本当に対抗すべきなのは、「正しい/普通の性や欲望の在り方」と「誤った/異常な性や欲望の在り方」という区別それ自体ではないのか。もし「LGBTQ+/クィア運動」というものがただ「L、G、B、Tの権利」以上を求めるものならば、この「正しい/誤った性や欲望の在り方」という規範を崩すことを目的とするものならば、「『性的嗜好』はLGBTQ+/クィアとは関係ない」という発想自体問われるべきではないのか。

本当に問題にすべきこと

欲望と性暴力に及ぶことを曖昧にするほど、実際の性暴力のあり方は隠され、「性的な同意を確認する」ということも曖昧になっていく。同意のない相手への欲望自体が性暴力と同列に罰せられるべき「犯罪」や「矯正」されるべきものだとみなすのならば、性的な同意があるか相手に確認すること自体に性的な同意が必要となっていくし、さらにそれ自体にも同意が必要だと議論するしかない(これは性的な同意を得られないことを前提とした相手への性的欲求の表現とは異なるし、区別できる)。もし「英語圏ではpedophileとchild molesterは同義に使われることが多い」を根拠にこれらの言葉を互換可能とするのならば、区別していく意義はここで十分に示したし、なお納得しないのならば、「欲望」と「性暴力」をきちんと区別する新しい言葉を使っていくべきだという話でしかない。どういう言葉をあてていくにせよ、これらの概念を区別しないべき理由は、自分にはわからない。

そもそも、あなたが本当は問題にしたいのは、「ペドファイル」の欲望ではなくて、「チャイルド・マレスター」による性暴力ではないのか。そのために「性的同意」について広く知らしめたり、これまで「性暴力」とみなされなかった行為をそうであるときちんと伝えあったり、被害に合うひとを減らし、また、被害に合ったひとが必要なケアへアクセスできるようにしたりすることではないのか。加害しそうなひとやしたひとを必要な教育やケアへつなぎ、性暴力やそれを繰り返すことを共同体として防いでいくことではないのか。これまで放置してきた制度や構造上の危険や不平等を、解消していくことではないのか。

「チャイルド・マレスター」は誰も肯定などしていない。「性暴力」がこれまで狭く定義されてきたこと、性的同意ができるとみなせる年齢ではない人たちへの性暴力が繰り返されていること、そしてその事実すらもが「ネタ」としてしか消費されない現状があることは忘れていない。幼い子どもが性的に描かれた広告が一切ゾーニングされずに表示され続けていることも強く問題である。だが、これらの議論は、性的同意が可能であるとみなすべきでない年齢の対象に対する性的加害を含めた、あらゆる性暴力を一切肯定することなくできる。同時に、「ペドフィリアは危険/異常だ」や「性的同意の尊重を前提としたうえでもなお、ペドファイルの権利は認められるべきでない」を否定しながらもできる。「PZN」のほかの欲望の在り方についても同じくだし、同意のない性行為を模した性行為を同意のある者同士で行うことも、非「PZN」が「同意」のない相手へ性的な欲求をもつことについても、そう。問題にすべきなのは性的同意を尊重しない性暴力であって、欲望の在り方ではない。

まとめ

「LGBTQ+にはペドフィリアが含まれる!だから『LGBTQ+運動』は危険だ!」に対して、自分は次のように答えたい:

「性暴力もクィア差別も他者の自由と尊厳を奪う行為である。自分が信じる『LGBTQ+運動』は自由と尊厳を求める運動だから、性加害する「権利」もだれかを差別する「権利」も求める運動ではありえない。だが、「同意」のない対象を欲望することそれ自体も、その欲望を満たす目的で同意のない行為を模した性行為を同意のうえで行うことも、他者の自由や尊厳を奪う行為ではない。それでもなお、「キモチワルイ」「異常だ」以外の十分な理由も出せずにこれらが「規制」され「矯正」されるべきだと主張するのならば、ないしはそれを前提とするのならば、あなたが繰り返しているのは他者の自由と尊厳を奪う行為でしかないから、自分が信じる『LGBTQ+運動』は自由と尊厳を求める運動である以上、強く批判する。」

[追記]2023/09/09

本記事の書かれた経緯

本記事は、直接的には、ころから社より出版された『イン・クィア・タイム』の帯コメントを書かれた方が、「ペドフィリア差別」ととらえられるようなツイートをしたり拡散していたりしたことを受けて書かれました。この件については、『イン・クィア・タイム』の訳者である村上さつきちゃんが、出版社とのやりとりも含めた顛末を説明しているので、こちらの記事を参考にしてください。

なにを「ペドフィリア差別」として批判しているのか

いくつか誤解のあるようですが、さつきちゃんらが問題にしていたのは、帯を書かれた方の「LGBTQ+にペドフィリアは入らない」という主張(この主張の「是非」に関しては、すでに上にも書いてますが、改めて下に明記します)それ自体ではないと、自分は理解しています。そうではなくて、帯を書かれた方が「チャイルド・マレスター」と「ペドファイル」を同一に扱い、ペドフィリア的な欲求を経験することそれ自体を繰り返し「犯罪」と結び付けていたことです。そして、クィアのための「サンクチュアリ」を目指した本の帯に、そのような主張をしている方によるコメントが使用されたことです。さらに、その事実に対して、訳者含めた多くの抗議があったにもかかわらず、パワーハラスメントともとらえられるような態度で、出版社側が対応したことです。極めつけには、曖昧な声明を出版社側が出した結果、帯コメントを書かれた方も訳者含め抗議してた方も、さらにはペドフィリアをはじめとしたパラフィリアを経験している方も、(多くの場合誤解に基づいて、トランス差別やセックスワーカー差別を繰り返す方などを交えながら)全員の傷つくかたちでやり取りがなされることになってしまい、しかもその後十分なケアや謝罪どころか、経緯の説明すらも出版社側からはなされていないことです。誰も、子どもも性的同意が可能だということを「ペドフィリア差別に反対します」は主張しているわけではないことくらい、状況を「注視」していたころからさんにはわかってたはずなのに、一言ツイートでもしてくれれば、避けられたダメージだって多くあったはずですよね。

ある欲求を経験するだけで、たとえ実際の行為の場面では常に同意確認を大切にしていても(繰り返しになりますが、一定年齢以下の子供を含めて、同意ができない対象と同意形成することが不可能なのは、前提としています)、自動的に「危険」とされ「犯罪者」とされること、そのような言説が正当化されることは、十分「差別」ではありませんか?これまでも、生殖に結びつかない性的な欲求の在り方や性的な行為は、場合によっては「精神病」の証拠として「治療」の対象とされてきたこと、あるいは「犯罪」とされて刑罰の対象とされてきたことは、事実ですよね。同じことをしていませんか?そのような言説があふれる社会で、例えばBDSMやペドフィリア的な欲求に基づく同意の上で開始したロールプレイにおいて、同意してない行為されたときに保護やケアを受けにくいことだって、経験しうる構造的な不平等性ですよね。これらは「差別」ではないのですか?ペドファイルにせよチャイルド・マレスターにせよは、「異性愛者の男性だから差別なんてされていない」という主張も見ましたが、無理があります。チャイルド・マレスターやペドファイルは「異性愛者」の「男性」だけではありませんし、「異性愛者の男性」でも性的なあり方に基づいて差別や周縁化を受けている方はいます。

参考になりそうなものたち

以下、簡単にアクセスできる「ペドフィリア」や「LGBTPZN」についての文章を貼ります。この記事でしてきた主張とはやや異なる部分もあります。また、特に牧村さん(まきむぅ)については、これまで様々にエンパワーされたこともある一方で、自分は賛同しかねる主張も多くなされていることにご注意ください。

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